ザ・グレート・展開予測ショー

わたしは知っている(上)


投稿者名:青い便箋
投稿日時:(05/ 6/ 7)



 美神オーナーは素直ではない。
 それを、人工幽霊一号は知っている。
「美神令子は素直ではない」
 もちろん、美神と親交が深い面々にとっては、それは周知の事実である。しかし、美神の衣食住と密接している――人工幽霊一号は住居に宿る霊であるから、おキヌ、タマモ、シロ、横島といった美神除霊事務所の所員のかれらと同等あるいはそれ以上に美神の私生活を知っている。で、あるからかれは思うのだ。
 「美神オーナーは素直ではない」
と――。
 もっとも、人工幽霊一号は、露悪趣味などないのでそれを他言することはないのだが。


 午前九時。
 深夜に除霊の仕事をしたあとの美神事務所の営業開始は、遅い。この時刻になってようやく所長の美神が起きてくる。仕事中のパリッとした姿から連想すべくもないが、寝起きの美神は、ひどくだらしがない。誰しも寝起きはぼさっとしたものかもしれないが。ギャップが大きいので損をしますよ、と人間の体を得て数週間経たおキヌがいったが、その頃の美神は苦笑でかえしただけだった。
「美神オーナー、後頭部の寝癖が目立ちます」
と、無機質な声で人工幽霊一号が告げた。
 美神はちょっと顔をしかめて、洗面所へ行った。最近は朝食の時分になると、必ずと言っていいほど所員兼丁稚兼荷物持ちの横島がやってくるのである。そのためか、美神は起床後でも身だしなみに気を使うようになったのを人工幽霊一号は知っていた。
「ちわーっス! 朝飯たかりにきましたー!」
 と、朝から騒々しく横島が入ってきた。おはようございます、と人工幽霊一号はいった。おはよう、と横島は気さくにかえした。人工幽霊一号は、そういう横島が好きだった。
「あんた、また来たの?」
と、美神がいった。さして顔が嫌そうに見えないのは、人工幽霊一号の気のせいではない。
「朝飯食う金がないんですよ! お願いします、美神さん。俺に貴重なタンパク源をー!」
 叫びながら滂沱と涙を流し、土下座までしてへこへこと頭を下げるこの情けない姿も、近頃の日課となりつつある。もとより、拒否する気は美神にない。おキヌが、女四人所帯よりもあきらかに多い料理を作っているのに気づきながら何もいわないのが証明している。のだが、一応はこうして拒む姿勢を見せないと、所長の威厳が薄れる気がするのだ。
 まぁまぁ、とおキヌが苦笑しつつ、人工幽霊一号には見慣れた、騒がしい朝食がはじまった。
 「こらウマイ、こらウンマーイ!」
 氷がお湯で溶けてゆくように、みるみるうちに横島の茶碗から米が減ってゆく。三杯目のおかわりをおキヌに頼んだときに、
「横島クン、三杯目はそっと出すって知らないの?」
 と、呆れ口調で美神が言った。横島は気まずそうにおキヌから茶碗を受け取って
「みんなビンボが悪いんや」
と、いってゆっくりと、かみ締めるように食べ始めた。
(おや?)
 と、人工幽霊一号は思った。
 横島さんは先々月に時給があがったはずだ。アシュタロス事件が一応の決着をみせてしばらくして、ようやく時給をあげるキッカケがついた、という美神の呟きは、人工幽霊一号の記憶の比較的新しい部分にある。
 そもそも横島が頻繁に事務所に朝食をたかりにくるようになったのは、給料があがって二週間ほど経ってからであるのは間違いない。給料があがったのなら、貧乏も改善されるはずではないだろうか、と人工幽霊一号は思った。
 おキヌとシロのいぶかしげな顔に気づいた横島は、
「ほら、俺、車の免許を取ろうとしてるから」
「あ、そういえばそうでしたね」
「でも、お給料だけで足りるのでござるか?」
 シロの疑問にそれまで黙っていた美神が、
「……わたしが、半額負担したのよ」
 ぶっ、とタマモがきつねうどんをふきだした。噴飯ならぬ噴うどんである。事務所が静寂につつまれた。呼吸の音すら聞こえない。人工幽霊一号にすら初耳であった。それを決めたのは、事務所の外での事だったのだろう。
 人工幽霊一号は、時間を計った。きっかり10秒経ってから、シロが酷く乾いた笑い声をあげた。
「――そう、そんなにおかしいかしら?」
 にこり、と柔らかい笑みを浮かべる美神を見て、シロはキャウンと情けない悲鳴をあげた。怖くて顔が見られない。
「ク、車の免許を取るのに、お金はいくらかかったのでござるか?」
と、いったあと、シロは己の失言を悟った。
「講習代はちゃんと払えた。食費もちゃんと取っておいた。が、シロ! おまえが悪いんじゃー! 給料があがったのを知ったおまえが毎日毎日! 俺に! たかるから! 相変わらず貧乏なんジャー!」
「せ、せんせェ……、それはあまりにも……」
「あまりも手毬(てまり)もあるかーァ! 給料があがったのに前と同じぐらい、いや前より貧乏なんて馬鹿な話はきいたことねェぞ!」
 美神は笑顔のままシロ、と呼んで、シロにとって死刑に等しい冷酷な宣告をした。
「アンタ、三日間は肉抜きね」





 騒がしい朝食が終わると、事務所は昼食前の業務にはいる。
 シロ、タマモは基本的に除霊担当で、事務はしない。やることといえば掃除などの雑用程度である。
 きょうのおキヌは居間で書類の清書をしつつ、電話の応対。暇を見てシロとタマモに掃除や洗濯の指示をしている。
 美神は、事務室に入って事務をはじめた。給料――時給が上がった翌日から横島は、その手伝いをしていた。準社員扱いだ、と横島に背を向けて、美神はいった。人一倍気高く、人一倍素直ではない美神がどんな顔をしているのか、まわりこんで確認したい思いにかれはかられた。が、そこまですると鉄拳で制裁されるに違いなかった。
 いっそアシュタロス事件以前のように、
「これはもう、俺への愛の告白ですね?! 横島カンゲキー!」
といって飛びつこうかと思ったが、その事件を経て、精神的に以前の自分と様変わりしてしまった横島には、不可能ではないがどうにもやる気がおこらなかった。ひょっとしたら、美神を「おんな」として意識しているのかもしれなかった。
 いっぽう、事務所全体が眼である人工幽霊一号には見えているのである。耳まで真っ赤になっている美神の顔が。人工幽霊一号は、おキヌの好きな林檎を思い出した。この林檎はおいしいのよ、とおキヌがいってシロに剥いてあげていたあの林檎を。
「ちょっと、横島クン? 手が進んでないわよ」
 美神の声で、横島の意識は二ヶ月前の回想から復帰した。
 スイマセンと横島は詫びて、書類を書き始めた。
 静かである。ペンの音だけが室内にさやかに流れる。人工幽霊は、時間がゆっくりと過ぎてゆくような錯覚を感じた。
 不意に、美神が咳払いをした。横島は顔をあげた。眼があった。美神は、眼をそらした。なんでわたしが眼を逸らすのよ、と美神は思った。横島はちょっと居心地が悪そうに身じろぎしたが、また書類を書き始めた。この二ヶ月間、こういうことがたまにあることを人工幽霊一号はよく知っていた。お互いに話したいことがあるのだろうが、キッカケがつかめないというよりも言い出しかねるといった雰囲気である。
――ルシオラは……
――え?
 美神の呟きに横島は顔をあげた。かれの顔は、驚きに彩られてはいなかった。聞き逃したゆえの反問だろうか、と人工幽霊一号は思った。
「ルシオラが、どうかしましたか?」と横島はごく普通の態度で美神に問い掛けたことに、人工幽霊一号は軽い驚きを感じた。と同時に、横島さんは美神オーナーがルシオラさんのを話をするのを待っていたのではないだろうか、と思った。たしかに、横島のその態度には、あらかじめその言葉がいつかくるということがわかっている自然さがあった。
 アシュタロス事件に深く関わっていたおキヌや美神とその知人たちは、消沈している横島の前でその名前を出すことを極力避けているようだったし、人工幽霊一号がその名前を聞いたのは、アシュタロス事件が終わって一週間ほどの間に数回聞いた程度で、その後その名前を耳にすることは皆無であった。
 美神は眼を強くつぶった。開いた。口を少し開けた。大きく息を吸い、言葉の斧を振り上げ、断じきるように
「幸せだったでしょうね」
 ついにいえた、と美神は思った。これがいいたかったのだ。この一言のために二ヶ月近く費やしたかと思うと、美神は我が身がおかしくなったが充足感はそれ以上であった。
 横島はしばらく黙っていた。数秒のち、なんの衒いも、迷いもないような、しかしどこか寂しげな表情で、
「はい」
といって、力強く頷いた。横島は毎日煩悶したであろう。懊悩したであろう。しかしそれを、いつまでも、その身に宿しているわけにはいかない。死者を忘れぬことは大切である。しかしそれにいつまでもとらわれ続けていることは、死児の齢を数えることとなんら変わりはない。重要なのは忘れぬことではない、覚えていることなのだ。
 人工幽霊一号は、自分がこの事務所の幽霊であることを誇りに思った。

 沈黙が再び舞い戻り、しばらく時間が流れた。横島は、書類の不備の確認を美神に求めて美神のそばに歩み寄った。
「うん、よく出来ているわ。しかし横島クン、字が汚いわねェ……。まァおキヌちゃんが清書してくれるからそこは問題ないけど、ちょっと気をつけなさいよ」
「こればっかりはどうにも……」
「それにしても」
と、美神はいって、胸の前で腕を組んだ。大きな胸が腕に押しつぶされ、強調されるように盛り上がった。横島の遠慮気味な、しかしそらさない目線に気づいた美神はわずかに顔を赤くして、椅子をぐるりと反対に回し、
「あ、アンタもだいぶ……、いや、そこそこはっていうかチョットは」
徐々に語尾が尻すぼみになってゆく。反比例して顔が赤くなってゆくのが人工幽霊一号にはよくみえた。
「っつ、つかえるようになってきたわね」
 このあたりが、美神オーナーのの美神オーナーたる所以であろうと、人工幽霊一号は思うのである。それはもう、破滅的に素直ではない。給料を上げて二ヶ月も経て、ようやく、使えるようになってきた、というのはどういうことであろう。
 美神の言葉を聞いた横島が何を思っているか人工幽霊一号にはわからなかったが、かれの葛藤はわかった。美神に飛び掛ろうとして自制して、脂汗を流す。片手を伸ばしそれをもう片方の手で掴みとめている。飛び掛かるべきか、せざるべきかを迷っているのだろう。以前の横島であれば確実に飛び掛り美神の制裁を受けていたであろうが、やはり近頃はおおいに変わった、と人工幽霊一号は思わざるを得ない。
 沈黙に耐えかねたのか、
「な、なんとかいいなさいよ!」
と、美神は勢いよく立ち上がって振り返った。葛藤中の横島の顔が目の前にあった。小さく悲鳴をあげ、バランスを崩した美神を横島の意外に逞しい腕が腰に伸びて抱きとめた。
「美神さーん、ちょっといいですかー?」
タイミング悪くというべきか、ちょうどその瞬間におキヌが事務室の扉を開け、「か」の口の形のまま固まった。
 人工幽霊一号が数えた時間は、今度はきっかり30秒だった。
「失礼しました……」
無表情で扉を閉めたおキヌを見て、二人はゆっくりと顔を見合わせた。美神の拳が横島の頬桁をしっかり捕らえた。
「はやくおキヌちゃんの誤解をといてこんかー!」
林檎よりも赤い顔の美神の怒声に追い出されるようにして、横島はおキヌの後を追っていった。「ちがうんやー! あれは事故なんじゃおキヌちゃーん!」という声が徐々に遠ざかってゆく。
 美神は再び椅子につき、赤い顔を隠すように手のひらで顔を覆った。
「事故、か――。バカ横島」

 その呟きをきいたのは、人工幽霊一号だけである。

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