ザ・グレート・展開予測ショー

ぷろじぇくとA・C


投稿者名:すがたけ
投稿日時:(05/ 6/ 4)

 桜の季節も過ぎ、新緑が萌え出でる頃――東京の下町に……ばん、だん、べん、ごばん!という無茶苦茶なフレーズの打撃音が大音量で響き渡る。

 深夜から早朝に変わりそうな微妙な時間……新聞配達もまだ全ての朝刊を配送していないという時間であるにも関わらず、そのようなご近所に迷惑な音を立てるのは、借金取りか何かだろうか――不協和音の音源となっているものが、今にも壊れそうな安アパートのドアであることも、それを裏付ける要因となっていた。

 ここでドアを叩くのがパンチパーマのオニイサンなら、ほぼ100%の確率で『キリトリ』というもののために早朝出勤でお仕事に励んでいらっしゃっているのであろうが、ドアを叩いているのは、口に『ほ○っ子』を一本くわえ、頭頂部から前を赤く染めた、白いロングヘアーの女性……というより、まだ少女、といってもいい年恰好の娘さんなのだから、一見すると訳が判らない。

 その少女は顔一杯に笑みを浮かべ、太平楽な声を張り上げる。
「横島先生〜!散歩でござるよ〜!!横島先生〜!拙者と散歩でござるよ〜!!」

 よく見ると、少女の左足の裾部分を切り取ったジーンズの後ろ側からは、元気よく左右に振れている白い尻尾が見える。

 築三十年近くの安普請のアパートを軋ませ、揺らすという遠慮ないパワーを秘めた『ノック』といい、尻尾といい、少女は外見は兎に角、人間の常識というものには程遠いものを持っている。

 それも当然だった。

 彼女は人狼族……見た目は人間に近いが、野生の獣の反射神経と人間に数倍する身体能力を誇る上、月の力を受けてその姿を獣人や狼と化すことで、その能力を更に増幅させる種族だ。その気になれば、このアパートぐらいは破壊することも容易いだろう。

 部屋の電気が点き、人狼族の少女――犬塚シロはより一層激しく尻尾を振りつつドアを叩いて中の人間に催促する。
 
「先生先生先生先生――!早く早く早く早く――!早く散歩に行くでござるよ先生!!」

「やかましいっ!」
 蝶番にダメージを受けようとしていたドアを開いて現れたのは、シロよりはやや上の年恰好の黒髪にバンダナの少年――シロが師と仰いで慕うゴーストスイーパー・横島忠夫であった。


 判りきっていたこととはいえ、早朝になるかどうかという時間からたたき起こされたことと、それに伴い、深夜のお楽しみである『18歳未満のお子ちゃまは見ちゃ駄目よ』というビデオもこのところろくに見れていない――17歳なので、本当は見てはいけないのだが――欲求不満から来る不機嫌さのこもった視線――ならば深夜といわずに宵の口にでも見ればいいかもしれないが、この三日ばかり、彼の同僚でもある少女が「横島さんが心配だから」と夜食を作りに来てくれたり、彼に匹敵するほどの赤貧に囚われているお隣さんに「お米を貸して頂いたお礼に」と、おかずのお相伴に預かったりで、『そのような暇』がなかったのだ――がシロに突き刺さるが、シロにはそんなものは判らなかった。

 ただ、『散歩に行きたい――!』そのシンプルな感情がシロを支配していた。

 だが、その感情はおよそ5時間後……恐怖に塗りつぶされることになる。




 恐怖を予見することのないまま、シロの家主であり、横島にとっては雇用主でもある世界最高峰のGSの一人である……悪名高きあの美神令子によって『シロの散歩用』として支給されたスポーツサイクルにつながれたリードをベルトに装着したシロは、横島がサドルに跨るかどうかというタイミングで―――『散歩』を開始した。



 首都高バトルが開催されているその下に……それ以上のスピードで公道を駆け抜ける一匹の獣と、獣に引き摺られる自転車の姿があった。

 サイレンを鳴らして追走を開始した白バイの姿が、見る見るうちに引き離されていく。

 シロの健脚から生み出される時速は……200キロに迫ろうとしていた。

 いくらギャグ場面では不死身と称する以外にない再生能力をもつ肉体を有していても、生身に過ぎない以上、もし振り落とされでもしようものなら、アスファルトという荒々しいおろし金によって、血の色の『横島おろし』が生み出されてしまう。

「いや――――――!やっぱり厭や―――ぁ――――ぁ――――ぁ――――あっ!!」

 作り物でしかないジェットコースターよりも遥かに恐ろしい、死と隣り合わせの風景に涙を流しながらの横島の叫びが――ドップラー音として、払暁の東京に……響き渡った。








 日が昇った多摩川河川敷……大半が厭な汗で濡れ鼠になった横島と、露わな腕でいい汗を満足そうに拭うシロが並んで腰掛けている。

「なぁ……シロ――お前、ある意味放し飼いみたいなものだ――」

「『放し飼い』とは心外でござる!拙者は狼でござる故、犬のように飼われてはいないでござる!!」

「……話の腰を折るなよ」一番弟子によってポッキリと折られた話の腰を、ようやく落ち着いた息の下で継ぎ足す横島。「放し飼いみたいなものだろ?一人でうろついても構わないだろうに、どうして散歩は散歩で別に行かなきゃならないんだ?」

「先生は……拙者と散歩するのが厭なのでござるか?」
 きゅーん、と鼻を鳴らして寂しそうに抗議するシロ。

「正直言って疲れるけど、厭って訳じゃないにきまってるだろうが。第一、厭だったらあんな時間から散歩に付き合うこともないじゃないか」
 横島のその言葉に、寂しそうに横島を見上げていたシロが喜色を満面に湛えて立ち上がると、改めて横島からの質問に答えて言う。

「左様でござるか!判り申した!
 先生の質問でござるが……拙者、誰と一緒に散歩しても楽しい、というわけではござらん!やはり散歩は好きな相手とするものでござります故……拙者は横島先生と散歩するからこそ、何よりも楽しいのでござる!!」

 これが、もじもじと照れながらの言葉ならば、いかに朴念仁の横島であっても、心に響くものがあったかもしれないが、尻尾をぶんぶか振り回し、バックに炎を背負った状態で拳を握り締めて力説されては、横島も引く以外にはリアクションを取ることは出来なかった。



 ―――――なんというか、折角のシチュエーションも台詞も、テンション一つで台無しになるという……悪い見本であった。






 衝動に任せてのダッシュを中心とした往路と違い、復路は比較的ゆっくりになる。

 ゆっくりとはいえ、自転車で競輪場に向かう競輪選手の一団を、あっさりチギって愕然とさせたことはまぁご愛敬。


 横島も慣れたくはないが、ここまで慣れてしまった以上、この状態であってもある程度はシロとの会話もできるようになっていた。

 人界と魔界の間にある、江戸時代からほぼ刻が止まった人狼族の隠れ里から、現代社会に出てきておよそ一年……最初の頃よりはましになったものの、中学生程度の一般常識も身に付けていないシロからの、「あれは何でござるか?」「何で最近は犬に服を着せる風習があるのでござるか?」等の、様々な質問責めにあう横島――その質問に受け答えながら……たまに答えにくい質問にあい、言葉に詰まりながらも、自然といつものルートから逸れていく。


 散歩によって精神を高揚させていたシロは、その事実には気付かなかった。


 横島は気付かれていないことに安堵しつつ、次の曲がり角を曲がる。

『千鶴どの―――!自分は、自分は―――!!』なぜか人間の言葉で喋りながら、リードを引っ張って前進しようとする女子高生に抵抗する、太りぎみのコーギー犬が目に入った。

 一瞬、まずい、と焦りかけた横島ではあったが、はっきりと人間の言葉を喋る犬というあまりにも現実離れしすぎた光景だったためか、シロは気にも止めずにコーギーと女子高生を追い抜く。


 一瞬の安心が横島を包むが……ここまで来たということは、今の光景のように、抵抗する者が見えるという率も高くなり、ひいては察知される率も高くなる。

 失敗は許されない……その思いを胸に、横島はジーンズのポケットに“切り札”が確かに存在していることを、密かに確認した。




 シロの耳が、その叫びをようやくキャッチした。

 同族達の、悲痛な叫びが聞こえる。

 その叫びは、一概に―――恐怖!!


 不安に、足運びが鈍る。

「どうした、シロ……早く行くぞ?」

 言いつつ、住宅地の曲がり角を左に曲がるよう促す横島。

「うう……先生……こっちには行きたくないでござる」
 元気一杯に左右に振られていた尻尾は力なく垂れ下がり、言葉にも力がない。

「どうしたんだよ、一体?」

 内心の動揺を隠しながら尋ねる横島に、思い切って訪ねるシロ。
「先生……拙者の目を見てくだされ……拙者に何か、隠し事はしてないでござるか?」

 両者の視線が絡み合う。


 横島ははっきり言って、嘘には自信がない。

 というより、思ったことを口に出してしまい、嘘が嘘になる前に自分から『嘘をつくぞ!』とばらしてしまっているケースが、あまりにも多い。

 今回も例外ではなく、無言ではあったが……つい、二度ほど目を逸らしてしまう。


「判り申した!拙者、先生を信じるでござる!」
 だが、所詮シロはシロだった。疑うことを知らない性質を強く持つため、相手が敵ならばともかく、師と仰ぎ、慕う横島の動揺は全く感知できなかったのだ。

 冷や汗を流しつつ、横島はそちらにシロを促す。「よーし、こっちだ……ぞ」

 尻尾を振りつつ、横島の言うままにその角を曲がったシロの20mほど前に……よく見知った顔があった。

 一つは、シロの家主であり、横島の雇い主でもある、美貌と実力を兼ね揃えた世界最高のGSの一人、美神令子。もう一つは、シロにとっては同じ事務所に住む同居人でもあり、昨夜、慢性的な貧窮に囚われている横島に貴重な栄養源となる夜食を作ってあげた横島の同僚、氷室キヌ。

「美神どの!おキヌどの!……どうしてこんなところに?!」

 親しい者達の顔を見たシロは、急にスピードを上げてそちらに向かう。自転車にリードを括りつけたままゆっくりとした歩みから突然全力ダッシュに移行され、横島は振り落とされそうになるが、辛うじてハンドルにしがみついて振り落とされることを免れた横島は、ポケットに忍ばせた全ての肝になる切り札を手に取り……一つの文字をイメージした。





「あら、あんた達……思ってたよりも早かったわね」

「え゛……思ってた、よりも?」
 美神から掛けられた不可解な言葉に、シロは思わず足を緩める。

「タマモの番が終わってからだと思ってたのに」
 言って、ちらぁり、と横を見る美神。

 そこには、建物の扉をくぐるか否か逡巡し、どきどき、と不安に鼓動を早める、妖孤の変化したナインテールの少女の姿があった。

「……おキヌちゃぁん」日頃の気丈な態度とは正反対の情けない涙眼で、シロと同じく同居人であり、仲間内唯一の良心であると断言してもいい黒髪の少女に助けを求める『ナインテールの少女』ことタマモ。

「だ……大丈夫だからね、タマモちゃん。すぐ終わるから。怖いのなら、私も付き添ってあげるから、ね」
 もとよりおキヌにはそう言うより他にない。

 何度も聞いた慰めの言葉が、タマモの耳には虚しく響く……おキヌに手を引かれ、タマモはがっくりと肩を落とし、死刑台へと向かう囚人の如くにとぼとぼと扉をくぐった。



 ――開いた扉から聞こえてくるのは、犬達の悲鳴と、それをなだめる飼い主の声。



 シロは、厭な予感に視線を美神と同じ方向に向ける。

 タマモがくぐった扉の上には、こう記されていた。



 ――――『山村動物病院』と……。



 扉の横には、明るい色彩のポスターが貼られ、丸っこい文字で印字された『予防注射のお知らせ』の文字が躍っている。


 顔面を蒼白にするシロ……記憶が――計り知れない恐怖が――蘇った。

「て……転進でござる!」

 Uターンしようとするシロだが、既に遅かった。

 横島の手が、振り返ったシロの口を塞ぐ格好で押し当てられたからだ。


 不意に押し当てられた手に忍ばされていた何かを……飲み下してしまったが、横島の手を振り解くことには成功し、シロは持ち主のいない自転車を腰に括りつけたまま、脱兎の如くに逃げ出そうとする。

「あ……こら、逃げるなー!」
 美神の声がシロの耳に飛び込む。

「これは逃げるのではござらぬ……転進でござる!!」

 専門用語では、明らかに逃げてる、というのだ。

 だが、次の瞬間、シロの足は持ち主の意志とは関係ない動きを見せる。

「シロ!待てっ!!」自転車から振り落とされた横島の言葉に従い、足が急ブレーキを掛ける。

「よぉーし。じゃあ、こっちに来い」横島からの再びの言葉に従う形で、シロは振り返り、ギクシャクした動きながら美神らの元へと歩を進める。

「うう……拙者、逃げる心算などないというのに……ただ後に向けて転進しているだけだというのに」

 逃げ口上はすっかり師匠譲りになって来た人狼族の娘は、逃げたい、という意志を捻じ曲げられ、じっとりとした厭な汗と滝のような涙を流しつつ、一歩一歩恐怖へと続く道を歩まされる。

「横島クン……さっき文珠を飲ませたみたいだったけど……なんて文字を飲ませたの?」

「……<忠>っス!犬には特に効くだろうと思ったんスけど……」

 笑顔で返す横島に、なるほど、といった面持ちで頷く美神。その右手には自動追尾の呪式を弾丸に込められた麻酔銃、左手には呪縛ロープが握られており、目的を達成するためには手段を選ばない、相変わらずの容赦のなさの一端を覗かせている。

「うう、狼でござる〜ぅ!」
 横島に腰のリードを掴まれたシロのいつもの抗議が、力なくこだました。


 恐怖に尻尾を丸め込みながら……しかし、文珠の効果も手伝って、逆らうことが出来ないシロが『連行される死刑囚・その2』として動物病院に足を踏み入れたその時、待合室で順番を待つ犬はいなかった。

 何かに怯えているかのように立ち上がろうとしない犬達と、怯えきって飼い主に甘える犬達……そして、数少ない、いわば井戸端会議ならぬ『犬端会議』とでも名づけてやりたくなるような雰囲気で、何もなかったかのように待合室で犬同士で親睦と交流を深める、数匹の犬達――。

「あ、美神さんのところのシロちゃんですね。お待ちしてました、診察室にどうぞ〜」
 カルテを手にしたナースのおねえさんが、明るい声で出迎える。

 以前は、人から犬へと姿を変えたシロの姿に唖然とするばかりだったのに、今ではこの対応である。時を経て、しっかり適応したのだろうと思ったら……。

「……よし、これで要注意の患者さんは赤城さんのところの……」
 どーやら、何かを忘れようとして……務めて明るく振舞っていただけらしかった。

 横島と美神に伴われ、ずる〜べたり、ずる〜べたり……と重苦しい足取りで診察室へと向かうシロ。


 そこには、袖を捲り上げた右腕を押さえたタマモと、タマモに付き添ったおキヌ……そして、二人の白衣の男がいた。

 一人は、初めて見る顔の、やや垂れ目気味の柔和そうな顔立ちの男。

 そして、もう一人はシロの記憶に深く刻み込まれた、三白眼のマスクの男……この動物病院の院長・山村だった。

「やぁ、待ってたよ!健康そうで何よりだね!」動物への愛情と情熱はあるのだが、半ば以上が執念にとって変わられた山村の声が、マスク越しに響く。

「拙者はこれ以上ないくらい健康でござるよっ!健康だからこそ、注射は勘弁するでござる〜!!」
 あおーん、と泣き喚きながら、シロが必死に懇願する。

「そうもいかないよ、シロ君……予防注射は年一回が原則だからね!」


「……年一回……」山村のその言葉に……横島が、何かを思い出したかのように呟く。

「何よ?」横島の怪訝そうな表情に、ジト目で睨みつけながら美神が促す。

「いえ、前のシロの注射のときから……何回クリスマスとバレンタインを経験したんだったかな、と思いま……ぶっ!!」

「余計な台詞は吐くなっ!」
 美神の完全な右ストレートが、綺麗に横島の顔面を打ち抜いた。

 横島が一撃でKOされたことにより、腰に巻かれたリードを握る力が緩む。


 シロに逃げるチャンスが生まれた。

 が、逃げようとするシロの視界に、タマモのけろりとした顔が写った。

 注射を済ませ、クールさを取り戻したタマモの顔が、『ふふーん!注射が怖いなんて、アンタもガキねぇ』といわんばかりの、挑発めいた笑顔に包まれる。

 ぴき、とシロの顔に怒筋が浮かんだ。



 注射は厭だ。

 だが、タマモに弱みを見せ、馬鹿にされるのも癪に障る。



 『恐怖』と『矜持』が、天秤に掛けられ―――揺れる。



 『父上……先生……拙者は、一体どうすればっ!!』

 間違いなく、どちらも『注射しろよ』と言うだろうが、そんなことも判らないほど、シロは混乱していた。


 永遠に等しい一瞬を越え、シロが出した結論は……「転進でござるっ!!」であった。


「あー、『待て』ッ!シロっ!」
 意識を取り戻した横島の言葉に、シロの足が一瞬だけ止まる……が、シロの『恐怖』は文珠の呪縛をも上回った。



「『待て』といわれて待つ馬鹿ではござらぬ!」

 ――さっきは待ったぞ。

「あいつ……文珠の呪縛を破るなんて……もしかしたら、メドーサ並の力を発揮してるんじゃないか?」

「感心してる場合かっ!追うわよ、横島クン!!」

「は……はい!」

「全く、あの馬鹿犬は」
 部屋を飛び出したシロを追い、美神と横島、タマモが慌てて診察室を飛び出る。

「すいません、すいません」土壇場で覆った事態に、おキヌは山村ともう一人の獣医……タマモに注射をした、若い研修医に頭を下げて謝る。

「ふふふふふ……逃ーがーさーんー!!」前回と同じく、三白眼を座らせ、鬼気迫る表情でシロを追おうとする山村獣医……それを止めたのは、白衣を脱ぎ捨てた、柔和そうな若い獣医であった。

「追うのは僕に任せて下さい……それに、ゼロ君は先生以外には相手が出来ません!」

「おお……じゃあ、任せるよ――藪月君」
 山村獣医のその言葉に、藪月という名の年若い研修医は、頷いて応じた。



「思わず飛び出してしまったでござるが……いかがいたそうか」
 勢いだけで逃げてしまったものの、行くあてなどなかった。

 里に戻るか――出来ない。無論、暖かくは迎え入れてくれるだろう。が、“人と人狼が共存する雛型”として自分を送り出してくれた里の者達の期待が自分にはある以上、戻るということは期待を裏切ることになる。

 “家”に戻る訳にも行かない。大恩ある美神や尊敬する横島、頼れる仲間であるタマモやおキヌ――自分のためを思ってくれた“家族”を振り切って逃げてしまったのだ。何で戻れるだろうか。

 衝動的に逃げてしまった自分の軽はずみさを悔いながら、「美神どの……先生ぇ」涙を流して駆けるシロに――声をかける者がいた。


「泣くほど大事な家族なんだろう?じゃあ、帰ろうよ」
 
 シロは驚き、足を止めた。

 無理もない。ここは屋根の上……コブラを駆る美神や自転車ではあるが、自分と一緒に『散歩』をしていることで驚異的な体力を持つに至った横島の追跡から逃れるために採ったルートだ。こんなところを併走する人間が、そうそういようはずもない。

「お……おぬしは?」

「ああ、驚かせてしまったかな?僕の名前は藪月……キミと同じで、人狼の血が入っている――ただの獣医の見習いだよ」

「……藪月、という名は聞いたことはござらんが?」
 僅かな不信感に、警戒心を崩すことなく尋ねるシロ。

「ずいぶん前の先祖に人狼がいた、という程度だよ。僕の前で人狼の名残を残している人にしても、ひい爺さんかその前の代の人が先祖帰りで名残を残していた人がいたというだけだし、ね。
 ――なんにせよ、戻った方がいいよ。人も人狼も、一人では生きられないんだからね」

「でも、拙者は逃げてしまい申した――先生や美神どのが拙者のことを考えた上で言ってくれていることは判っている、というのに」

 涙ながらのシロの言葉に、くすり、と笑い、藪月は返す。
「そんな理由でキミを見捨てることはないよ。家族、というのはそんなものじゃないのかな?
 ホラ――」

 促され、ビルの下を見たシロの目に、息を切らせて追いかけてきた横島の姿が飛び込んだ。

「てめぇ、そこのヤブ医者ー!!俺のシロに何してやがるんだぁーっ!!」

「俺の?」ジト目で突っ込む美神に、「あ…あくまで俺の弟子、という意味っス」と、既視感に囚われながら返す横島の姿が見える。

「あんな腕のいい先生に、なんてコトをいうのよっ!!」狐火が……アフロを生み出した。


「……いい、家族だよね」

「当然でござる……拙者の自慢の、家族でござるからな」涙と笑顔を綯い交ぜにして、シロが力強く言い切った。









 “家族”の元に帰ってきたシロに与えられた罰は、師と慕う男からの「このバカタレがっ――心配させるんじゃねぇよ!!」の言葉と、美神から通告された『夕方の散歩の一時間短縮』であった。

 裏切ってしまった自分を許す――“家族”の懐の広さに、胸を打たれながら山村動物病院の前に再び降り立った時――動物病院のガラスが割れた。

「み、美神さーん!大変です――っ!!」
 笑顔のような泣き顔――連載では何度か見たことがあるだろうあの顔――で、おキヌがシロを連れて戻ってきた美神達に助けを求める。

『ああっ!!体が勝手に、バトルモードに――!!』

 診察室から、何かが変形する音が聞こえていた。

「こらー、ゼローっ!!」慌てながらも注意を促す、若い女性の声と、「人を守るために戦う犬……こんな貴重な犬種を病気にさせる訳にはいかん――――注射だ!!」歪みきった熱意に燃える獣医・山村の声が聞こえた。

 ――犬種とは違うと思うぞ。

「関わり合いにはなりたくないんだけどなぁ……でも、どうにかしないと注射が……」

 そうボヤいた美神に「あ、持って来てますよ」アンプルと注射器を見せ、さらりと藪月が言う。



 消毒し、一秒……注射はあっさり終わった。

「へ……これだけでござるか?」痛みも殆どなく、拍子抜けした声を漏らすシロ。「逃げた自分が、馬鹿らしく思えるでござるなぁ」

 あっはっはっ!と頭を掻きながら、シロが照れ隠しに笑う。

「終わったわね。じゃあ、帰るわよ、みんな」
 美神に促され、コブラに乗り込むタマモと、自転車に乗る横島……そして、自転車にリードを括り付けなおすシロ――それぞれが帰り支度をはじめていた。

「ちょっ……向こうはどうするんですか、美神さーん!?」
 唯一の良心であるおキヌが……あえて視線を外す美神らにツッコミを入れるが――コブラに引きずり込まれ、言われた。

「『私達は何も見なかった』……いいわねっ!」あんな厄介そうなものに関わり合ってたまるか、という意思を載せ、コブラが全速力で遠ざかる。

「お大事にー!」藪月が……そんな彼らを笑顔で送り出した。



 なお、この30秒後、軍事サイボーグ犬『赤城ゼロ』犬佐は山村獣医によって制圧され、あえなく注射をされることになるのだが――惜しいことに、そのシーンは軍事機密なので公開できないのであった。







 ぷろじぇくと『あにまる・くりにっく』――――おしまい!!

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