ザ・グレート・展開予測ショー

わたしは知っている(下)


投稿者名:青い便箋
投稿日時:(05/ 6/12)

 事故とはいえ、美神と横島が抱き合っていたところをおキヌが見てから四日過ぎた。
 その間のおキヌは人工幽霊一号から見てもあきらかに元気がなかったが、ようやくおキヌの顔に明るい表情が浮かんだ。横島がおキヌを映画に誘ったのである。
 よかったわね、と美神はおキヌにいったくせに、その日一日は妙に寡黙で、かの女は横島にたいして酷く厳しかったのを人口幽霊一号はよく知っていた。

「それぐらいちゃっちゃと書けッ!」

「ひィ、堪忍やぁぁ」



 一週間過ぎた。
 正午から時計の短針が三回りした頃に、横島が事務所に来た。どこか誇らしげであった。

「美神さーん、見てくださいよ! ついに免許をとりました!」

 と勢いよく入ってきたが、事務所のなかには、頬杖をついて、どこか遠くを見ている美神一人しかいなかった。視線の先――ずっと先の方角には東京タワーがあるが、ここからはビルの群れに隠れて見ることができない。

――美神オーナー。横島さんがいらっしゃいました

 と、美神は人工幽霊一号の声で夢から覚めたような顔をした。

「免許、取れましたよ」

「そう。おめでと」

「それで、その」

 横島は妙にもじもじとして、落ち着きがない。口をもごもごとさせているが、なかなか言葉にならない。大の男が羞恥で体をクシャクシャにしているのはなかなか正視できるものではないが、美神はじっと待った。

「もしよかったらドライブとか……、いや俺は車を持ってないから結局美神さんの車を貸してもらってのドライブなんですがど、どどどうでせうかア?」

 語尾が裏返った。美神は、彫像のように動かなかった。
 動かない。
 瞬きもしない。畳み掛けるように、横島は、

「最初に車に乗せる人は、美神さんって決めてたんです」

 といって、自分の発言に含まれる深い意味に気づいたのか、「ち、違うんですよいや違わないか――いやち、違う。そのォ変な意味じゃあなくて、金もだいぶ出して貰ったからそのお礼というかなんというか、……つまらんお礼ですけど」
 横島は、苦笑した。言い様というものがあるではないか。

「――バカね」

と、美神が小さな声でいった。声が少しかすれていた。
 お礼は負担した講習費用と同じ額でいいわよというべきだろうか。かの女は少し迷った。しかし、横島がアシュタロス事件後に精神的に成長したように美神もまた、少しずつ変わりつつあるのだった。なるほど、金は確かに大事だが、こと美神にとっていえば命の次に大切といってもよかったが。
 お金より大事なものがあるじゃない。この場合は、想いだ。横島クンにこの声は届いただろうか? 
 届いてはいなかった。横島は、美神の返答を待った。

「仕方ないわね、特別よ! いっておくけど、車に傷をつけたら」

美神はそこで言葉を区切り、

「ただじゃおかないわよ」

と、わざとらしく怖い顔で、いった。



 美神の愛車のコブラが流れるように道路をはしってゆく。
 運転席いる横島が、しっかりとした手つきでハンドルをさばいていた。助手席に、美神。
 人工幽霊一号は、コブラに憑依していた。かれは、ちょっとした違和感を感じた。いままでハンドルを握っていたのは、ほぼ美神一人であったためである。
 同じように、美神も違和感を感じていた。たとえるなら、今まで身に着けていなかったものが、不意に身についたような。それは、けっして嫌なものではなかった。むしろ心地よいものだった。横島に背中を任せる、というには語弊があるが、ありようとしてはそれに近しいものに違いない。

(横島クンが……)

 今までは、常に、美神が主導権を握っていた。行く先も、やり方も。除霊に限らず、すべてがかの女の一存で決められていたのに。
 美神は横目で横島を視界におさめ、すぐに前方に視界を向けた。横島の横顔は、男のそれだった。美神の胸のなかで、残り火がくすぶるような、小さな熱い感情がうずいた。その感情がなんというものなのか、美神はおぼろげながらわかっていた。正確にいうならば、つい最近、気づいた。感情の所在を。とはいえ、口に出すはずもない。
 火星のように赤くなりつつある太陽が、東京タワーの頂上に突き刺さって見えた。

 コブラは、進んでゆく。
 ほどなく、ビルとビルの谷間に細い東京タワーが見える場所にとまった。そこに夕日がゆっくりと沈んでゆく。
 二人は無言だった。風が、美神の長い髪を梳(す)いてゆく。美神は髪を押さえた。日没まではわずかである。

「すンません、こんな場所で」

 ルシオラとの思い出の場所に近いことを謝ったのか、それとも見晴らしがあまりよくないことを謝ったのか、美神にはよくわからなかった。

「横島クンにしては上出来よ」

と、憎まれ口をたたいて誤魔化した。それ以外になんといえばいいのだろうか。
 美神は知己のまえではおおいに大人ぶっているが、所詮は二十一歳の小娘である。確かに、事務所の経営には若いながらも才覚がある。
 しかし、ことが男女の話になるとまるでだめだった。いまのこの状況が恋愛小説にあるような場面であれば、それに倣った対応ができたであろう。が、世界の救済と引き換えに男のいとしい人が死ぬ小説など、探して見つかるはずもない。ましてや、自分がその位置に納まろうとしている小説などは。

(エミならどうするかしら)

 ふと、美神の脳裏にあの憎たらしい顔が浮かんだ。小笠原エミならば、こんなときでも、きっとうまい対応をしていたであろう。
 横島は、不意に、

「昼と夜の一瞬の隙間。短時間しか見れないからよけい美しい……」

 それは、何かと訣別(けつべつ)する言霊が乗っているように聞こえた。

「だれの言葉?」

 美神は問うた。愚問であった。答えようとした横島を腕で制して、微笑んだ。この態度は、きっと正解だったろう。

 東京タワーのライトアップが仄々(ほのぼの)と見えはじめた。細くただ高いだけの鉄塔で蛍が瞬いているようだった。




 事務所にもどったとき、午後八時をまわっていた。おキヌたちはどこへいったのか。

「横島クン、飲まない?」

「俺、未成年っスよ」

「たてまえはいいのよ。アンタ、少しは飲めるでしょ」

 美神が出したのは、アルコール度数が四十三もあるウィスキーだった。

――美神オーナー、これはどうかと思うのですが……

 人工幽霊一号の諌めを無視して美神はグラスに氷を入れ、琥珀色の液体を満たした。きついアルコールの匂いが鼻を刺激する。かの女は、酒の力を借りなければ、二人だけでこの空間にいられる自信がなかった。
 横島は、呷るように一息で飲み干した。

「うげー」

「馬鹿。ビールじゃないのよ」

「ビンボな俺が、ウィスキーなんか飲んだことあるわけないじゃないですか」

 それに未成年ですしね、といって横島は笑った。そもそも法律違反である。もっとも、美神除霊事務所は法律の檻で抑えられる柔なものではないのだが。女豹美神令子は檻を食い破るのだ。

「でも、結構うまいっスね」

「でしょ?」

 いたずらっぽく笑って、美神は値段を囁いた。横島の顔が群青で刷いたようになった。以前の時給二百五十五円だと完済するのに約千二百時間――正確にいうと千百七十六時間と少し――かかる価格である。不眠不休で働いて四十九日。偶然とはいえ、不吉な数字だ。
 それをはやいペースであけてゆく美神を見て、横島は慄然とした。わかりきっていたことだが、住む世界が違う。
 本来なら、二人の住む世界は交錯することがなかったであろう。片方はただの高校生であり、もう一方は一流のGS。どの視点からみても接点などまったくないはずだった。
 それがいま、綯(な)い交ぜになっている。いま、この場所で、二人っきりで酒を酌み交わしている。横島は、縁の不思議さを思った。

 酒がすすむにつれて、互いに饒舌になっていった。話柄がお互いの出会いから始まり、アシュタロス事件をすぎた。話の種が尽きることはない。出会ってからというもの、人生の中でもっとも濃い時間をおくっていたのだからそれも当然だ。横島がいなければ、美神の生活はずいぶんつまらないGS人生だったに違いない。小竜姫と出会ったりはしたろうが、しかし淡い付き合いで終わるように思われる。おキヌには逢うことすらできなかったであろう。
 さらに、仮に横島がいなければずいぶん楽な仕事もあったろうし、いなければひょっとしたら落命せざるを得ないこともあった。ついには、得がたい人材になっている。
 いつしか午前二時になっていた。ルシオラのことが話題にあがった。しかし、それだけであった。平安京――前世でのことは話題にのぼらなかった。
 横島は、いった。

「千年たって、ようやく……」

 眼が、どろりとしている。意識が混濁しているのか、口調がおぼつかない。頭が船を漕いでいる。

――運命。

 前世の一瞬の交差で激しく輝き、光が余韻を残さず千年近い歴史を経て再び明滅する稀有なことを運命というならば、横島の酔言はまさしくそのとおりだったろう。そしてそれは、泥酔している横島の本音であったに違いない。いや、きっとそうであろう。少なくとも、美神は一途にそう望んだ。
 美神は、言葉の続きを期待した。
 しかし、横島はそのまま突っ伏した。
 期待は外れた。

 しばらくグラスを手の中であそばせて、美神は立ち上がった。

「美神オーナー。横島さんはそのままでよろしいのですか?」

 と、人工幽霊一号がいった。
 横島を抱き上げようと肩に手を回したときに、美神は火を素手で掴んだように一瞬怯んだのを人口幽霊一号は眼にした。
 触れた部分がみょうに熱いのだろうかと、かれは思った。それは横島の体温ではなく、美神の身体の火照りであった。
 美神は気をとりなおして再度横島を担ごうとした。
 重い。

(いつのまに)

 こんなに重くなったのかしらと、美神は思った。なんのことはない。かれはただ全ての人間がそうであるように、成長しているだけである。が、美神は新しい発見をしたように嬉しくなった。
 いや、違う。美神は生物にとって必然の成長という過程に感慨をいだくような女ではない。かの女は、かの女の細腕で抱えきれない横島に、どうしようもない男臭さを感じて身悶えたのである。まぎれもなく、このときの美神は女であった。
 このもどかしい感情は、西条輝彦が留学先から帰国してきたときに確かに感じた。しかしそれは憧れの延長線上にあって、焦がれるほどに──なにか行動をおこさねばその感情で押し潰されてしまうほどのものではなかった。
 美神は酔いの覚めやらぬ頭で、深く思考へ沈んでゆく。
 横島の横顔を見て感じる動かしがたいそれはいったいなんであろう。憧れ? そんなはずはない。いまさら憧れるようなものではないことなど、美神はわかっていた。答えはとうに出ている。何度も感じたではないか。その答え、すなわち感情を。
 これ以上ここで思いにふけることは無意味である。
 美神は、行動をするべきであった。
 人口幽霊一号は、美神の瞳が所在なさげに揺れているのをじっと見守った。やがて、美神の視点が定まった。

「わたしは酔っている」

 独り言にしては声量がおおきく、しかし誰に聞かせるでもない。が、人工幽霊一号はその不可解な声を耳にした。
 美神は、繰り返し同じことをいった。

 そして横島の頬に口づけをした美神は、

 「好きよ、横島クン」

――人工幽霊一号だけが、この重大な一言を知っている。
 酒の力を借りてしか、素直な思いを伝えることが出来ない人の一言を。



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