ザ・グレート・展開予測ショー

#挿絵企画SS『涙を拭いて』


投稿者名:斑駒
投稿日時:(04/ 2/29)

先生が死んだ。

……といっても、もう一ヶ月近く前の話だ。

享年とって92歳。人間の寿命からすれば、大往生だったのだろう。

でも……でも、悲しみが止まらない。

涙もとうに枯れ果てているのに、悲しみだけがとめどもなく溢れてくる。

いっそ泣けた方がずっと楽だろうと思う。

泣いているうちは余計なことを何も考えずに済むから。

何かを考えると、すぐに先生との思い出に結びついて、心がまたズキズキと悲痛な叫び声を上げるから。

だから今はただ、極力呆然と日々を過ごすだけ……





「ったく。どうしてるかと思って見に来てみれば、案の定ね。辛気臭いったらないわ」
 唐突にタマモが訪ねてきたときも、カーテンを閉めた部屋の隅でうずくまっていたところだった。
「タマモは……タマモは平気なんでござるか? タマモだって先生のことが好きだったのでござろう?」
 入ってくるなりカーテンをバァーっと引きあけるタマモを、まぶしさに目をしかめながら見上げる。
 生き生きとした、いつも通りのタマモだ。
「……そうね。確かにアイツには色々と世話になったし、けっこー気に入ってたんだけど。でも死んじゃったものは仕方ないわ」
「そう…で、ござるか……」
 コイツにとってはそんなものなのかもしれない、と思った。
 というより、自分で訊ねておきながら、他人の思惑まで深く考える気分じゃなかった。
「何よ。『冷血ギツネ』だとか罵らないの? 張り合い無いわね」
「すまんでござる……」
 なんとなく、本当にすまなく思った。
 が、タマモは苛立ったような顔をしたかと思うと、いきなり胸倉を掴んできた。
「あんたねぇ、いい加減にしなさいよ。そうやってりゃ横島が帰って来るとでも思ってんの? そんな辛気臭い有様、見せられる方がいい迷惑だわ!」
「でも……」
 タマモには関係ないことではないか。
 そう言おうとしたが、タマモは有無を言わさぬ剣幕でまくしたてる。
「でももヘチマも無いっ! 1ヶ月このかたずっと部屋に閉じこもって。あんたはちょっと外行ってアタマ冷やして来なさい。好きだったサンポでもしてれば、少しは気分も晴れるでしょ」
「さ、サンポなんて……」
 サンポ。先生との思い出が最も深く刻まれた行為。今は最も避けたいものの一つだった。
 しかしタマモは無慈悲にも力ずくで部屋から自分を放り出し、ドアを閉めざま言い放った。
「うっさい出てけっ! 二度と同じ顔下げて戻って来るなっっ!!」





 どういうわけか自分の部屋から締め出されて、仕方なく町を歩く。
 今までに何度となくサンポで先生と駆け回った道を、今は一人で歩く。
 いっつも無視して通って叱られた信号。いっつも一休みして水を浴びた公園。
 何を見ても先生との思い出がよみがえって、心が痛い。
 行くあても無く歩いていて道路工事している横を通りかかったとき、知った声に呼び止められた。
「ミス・シロでは・ないですか?」
 それはついぞこの前、先生の葬儀の時にも聞いた声だった。
「マリアどの……」
「? どうか・しましたか?」
 礼儀正しいマリアどのには珍しく、挨拶の言葉も無く第一声がそれだった。
 マリアどのは表情こそあまり変化は無いが、こちらの顔を覗き込む仕草がとても心配そうに見える。
 そんなに露骨に気になるくらい、自分の様子はおかしく見えるのだろうか。
「先生が……」
「! 横島さんの・ことでしたか……」
 何気ない風に答えようとしてみたが、声が続かなかった。
 しかしマリアどのは一言で察してくれたらしい。
「しかし・もう28.5日も・前のことです。いつまでも・気に病んでいては・体にも・良くない」
 そう言って、じいっとこちらの顔を見つめてくる。
 ひょっとして自分の目は、涙で派手に腫れてしまっているのかもしれない。
 それならばマリアどのでなくても、一目で気になるだろう。何が、それほどの涙を流させたのかと。
「何日前でも何年前でも、たったいま先生とサンポすることができないし、これからももう先生が傍に居て叱ってくれることも笑ってくれることも無い。そう考えると泣かずにはおれないのでござる」
「………」
 気がつくと、今の気持ちそのままがスラスラと口をついて飛び出していた。
 マリアどのは無表情のまま黙ってそれに耳を傾け、しばらくしてとつとつと話し始める。
「マリアは・人造人間だから・涙を流して泣いた事は・ありません。そのかわり・今までたくさんの・死別を経験して・そのたびに・色々とありました。でも・マリアは今・こうしてここに居ます」
「………??」
 マリアどのは必死で何かを伝えようとしているようなのだけど、元来しゃべるのが苦手らしくてうまく伝わって来ない。
 しかし、マリアどのが自分の事を話すのを聞いたのは、これが初めてだった。
「だから・横島さんと死別した・ミス・シロも・いつかマリアみたいに・居られると・思います」
「……ええと、よく分からないけど、はげましてくれてるのでござるな? かたじけない」
 なんとなくお礼を言うと、マリアどのは寂しいとも仕方なさそうともつかない表情で、こっくりと頷いた。
 自分の言いたい事が上手く伝わらなかったのを、気にしているのだろうか。
「ドクター・カオスなら。もっと明確な・回答が・得られるかもしれません」





 マリアどのから聞いて、カオスどのが交通整理のアルバイトをしているという大通りに向かう。
 自分が何のためにこんなことをし、どうしてこの場に居るのか、それも分からぬまま。ただ漠然と、歩く。
 マリアどのも先生のことが好きなのだと思っていたけれど、反応はずいぶん淡白だったように思う。
 タマモだってそうだ。平気で先生のことを過去のこととして口にしていた。
 してみるとおかしいのは、自分の方なのかもしれない。
 教えられた場所に着くと、カオスどのは、すぐに見つかった。
「カオスどの」
 道端に立つ長身のご老体が、呼び声に反応して振り向く。
「おおっ? 誰かと思えば、小僧んトコの犬っころではないか」
「ご勤務中にかたじけない」
「……? なんじゃ。今日は『犬じゃない』と食いついて来んのか。つまらんのう」
 まただ。タマモも同じような事を言っていた。
 たしかに昔は真っ先に食ってかかっていたかもしれない。でも今は……
「先生が死んで…もう、どうでも良いでござるよ……」
 とりわけいじけるつもりは無いし、自棄になったわけでも無い。この答えは当座の自分の心境そのものだった。
 こちらも敢えて食ってかかる張り合いのようなものが無い。ただそれだけ。
 カオスどのもあまり気にした風でもなく……というより今気づいたという様子で話す。
「おお……そう言えば小僧はついぞこの前、死んだのじゃったな。面白いヤツじゃったのになぁ、惜しいことだ」
 それはあたかも、先生のことなど忘却のかなたであったかのような対応。
 それを聞いて、自分の中で何かの堰が切れたような気がした。
「みんな……みんな冷たいでござるよ。先生が死んだのに、もう会えないのに、まるで何もなかったみたいにいつも通りで……」
 枯れたと思っていた涙が、また溢れ出る。
「おぉい。そりゃぁおぬしも悲しいだろうが、何もいまさら泣くこともあるまい」
 カオスどのが、慌てた様子で取り繕う。
 でも、流れ出した涙は止まらない。理由も分からないのに、ただとめどなく溢れてくる想い。
「カオスどの……は、悲しくない……ので、ござるか?」
 考える前に口をついた問いに、カオスどのは肩をすくめて答えた。
「そりゃぁ、わしだって隣人が死ねば人並みに悲しいが、ただ悲しんでばかりもおれんよ。借金をしている身としては、悲しむ間も惜しんで働かにゃならん。貧乏ヒマ無しというやつじゃな」





 なかなか泣き止まないことを気遣うカオスどのに、しゃくりあげながら礼を言って別れ、また独り当ても無く道を歩く。
 涙は止まり、頬を伝った水滴もすぐに乾いたけれど、頭の中はもやがかかったようになかなか晴れない。
 カオスどのはああ言っていたけれど、マリアどのが言っていたことも同じだったのだろうか。
 悲しんでいる暇はない。アルバイトをしなければならないから、今ここに居る……と。
 でも、自分には残念ながら悲しむ時間も心の余地も十分にある。
 なにせ、先生たち人間とは寿命が違ったのだから……
「危ないっ、避けてっっ!」
 角を曲がったところで、不意に声をかけられた。
 思わず飛びすさると、目の前を亡霊が物凄い勢いで通り過ぎる。
 その直後に人影が通り過ぎ、あっと言う間に亡霊に追いついて護符に吸印する。
 その様子を呆然と眺めていると、振り向いた人影と目が合った。
「あれ? シロちゃんじゃないか。ぼーっとして悪霊の気配に気付かないなんて、らしくないなあ」
 そう言って柔和な微笑みを浮かべたのは、ピートどのだった。
 たしかに言われた通り、いま目の前で吸引される悪霊を目の当たりにしても邪気やら殺気やらを感じることが出来なかった。
 霊能力や嗅覚がなくなってしまったのだろうか。いずれにしろ、自分でもらしくないと思う。
「……あ、そんなつもりじゃなかったんだけど。どうかしたのかな? 考えごと?」
 何も言い返すことができずに黙っていると、ピートどのが気を回して話しかけて来てくれた。
「先生のことを……」
 これで今日何度目かの、同じ答えになる。
 しかし考えていることといったら、やはりそれしか無かった。
「ああ、やっぱり……」
「やっぱり……?」
「いや、そうか。君は特に、横島さんのことを慕っていたからね……」
 ピートどのはあさっての方向を向き、遠くを見るような目をして答えた。
「ピートどのは……どうなんでござるか? 先生のこと……」
「えっ? いや。僕も横島さんのことはもちろん好き……いや、そーゆー意味じゃないんだけど親友として……」
 好きという言葉にホッとしつつも、ピートどのが先ほど見せた屈託の無い微笑みが頭をよぎる。
「でも今は、まるで先生のことなんか忘れてしまったみたいに、あんなに生き生きと普段どおりの仕事を……」
「そんな、忘れるわけない…ああ、そうか」
 ピートどのは途中まで言ってこちらの言葉の意図に思い当たった様子で、言い直した。
「忘れるわけなんか、ないじゃないですか。横島さんはいつだって僕の心の中に生きています。だから、今の僕はこれでいいんです」





 ピートどのと別れて、暮れなずむ街中を足の向くままさ迷う。
 先生はいつだって心の中に……。そんなのは当たり前で、今だって心の中は先生のことでいっぱいだ。
 でも、自分はピートどののようにはなれない。
 そんなことをとりとめもなく考えていると、いつの間にか先生の通っていた学校の前に来ていた。
 お弁当を持って行ったり、サンポをせがむために迎えに行って校門で終業時間を今か今かと待ちわびたり。
 先生との思い出がたくさん詰まった場所。
 もう時間も遅いので門は閉まっているが何の気なしに乗り越え、校内を歩き回ってみる。
 先生が居た教室の前を通ったとき、不意に中から声がした。
「あれっ? シロちゃんじゃない? どうしたの?こんなところに来て」
 立ち止まって振り向くと、教室のドア越しにこちらに手を振っている愛子どのが見えた。
 小奇麗な机と椅子の中に混じって、そこだけ時間が止まったかのように昔と同じままの木の机。
 そして、昔と同じままの笑顔。
「ちょっと……」
 先生のことを……と言おうとして、少しためらわれた。何度も同じことばかりを言い続けたからかもしれない。
 代わりに聞き返す。
「愛子どのこそ、どうしたのでござるか? こんな遅くに学校で……」
「私? 私は机にくくられた学校妖怪だから、いつだってずっとここにいるわ。横島くんが居たころから、ずっとここで永遠の青春時代を過ごしてるの。でも夜はご覧の通り独りっきりで、青春も何もないけどね」
 愛子どのはそんな話を片眉一つ動かさずに、それどころかむしろ笑いながら語った。
「独りっきり……それで、寂しくないのでござるか?」
「う〜ん。独りには慣れたし、朝になればすぐにまたみんなに会えるしね。でも、寂しいと言えば、やっぱり卒業の時かな」
「卒業……で、ござるか?」
 するべきことを全て為し終え、その場を去ること。
 自分は経験したことが無いので、いまいち寂しさのイメージと直結しなかった。
「うん。私がここにいる間、たくさんの友達が私と同じ時間を過ごし、そして卒業して行ったわ。私はいつも、たった独りこの教室に取り残されるの。何度経験しても、やっぱり親しい人との別れは寂しいし、悲しいものよね」
「そう……。そうなんでござる! 悲しいのが当たり前で。それなのにみんな平気な顔で……」
 独り取り残されるイメージが今の自分に重なって、共感を訴える声もついつい大きくなる。
 やっと、同じ気持ちを分かち合える相手が見つかった気がした。
「うん。悲しいのが当たり前。でもね。それが私なんだから、仕方ないとも思うの。だから私は、何度卒業の寂しさを味わっても、こうして私らしく精一杯青春を謳歌しようと思ってる。いつか私が学校妖怪を卒業する、その日までね」
「仕方ないから、精一杯……」
 イメージが重なったまま、耳に入る単語が頭の中でぐるぐる回る。
 自分を遺してこの世を卒業して行った先生。
 寿命の違いで仕方なく取り残された自分。
 だから精一杯自分らしく生きる。
 自分がこの世を卒業する、その日まで……
「たぶん……たぶんだけどね。私だけじゃなくて“みんな”そうやって生きてるんじゃないかな」





 学校を後にすると、次に向かうべき場所は心に決まっていた。
 この1ヶ月間、最も行くのを拒んでいた場所。
 死という現実を、最も強く実感してしまいそうな場所。
 先生の……お墓。
 どうしても今すぐに行かなければならない。そんな気持ちに後押しされて、海に面した高台にある共同墓地に着いたときには、もう東の空も白み始めたころだった。
「先生……1ヵ月もの間お参りにも来なかった弟子の不徳を、どうかお許しください」
 墓石に真正面から向かい合って、話しかける。
 もちろん答えは、無い。
 やっぱり、もう先生は居ないんだ。
 まだ少しズキリと痛む胸を、両手でぎゅっと抑え込む。
「ここに来るまで、かなり遠回りしました。たぶん独りだったら、自分を見失ったまま未だに真っ暗な部屋の隅っこです」
 口の端をにいっと持ち上げて、苦笑いしてみる。
 こんな表情も、昔はよくしていたけれど、ついぞ最近はご無沙汰だった気がする。
「タマモにハッパをかけられて、マリアどのにはげまされて、カオスどのになぐさめられて、ピートどのに目を覚まされて、愛子どのに諭されて。それでいま、やっとここに居ます」
 今日偶然に出会って、世話になった人たちの名を挙げる。
 ……と、なんだか一人呼ぶごとに、背後の墓石の陰やら木陰やらでビクッと反応する気配がしたような気がした。
「…………」
 視線は動かさずに、嗅覚に集中してみる。
 すると、背後の随所から、記憶に新しい臭いがする。
 ある者は式神の霊気が漂う護符を持ち、ある者は妖気を纏う古木を背負っている。
 ……なんだ、そういうことか。
「まあ、タマモには、理不尽に家を締め出されただけでござったけどなっ」
 何の事は無い。“みんな”一緒だったのだ。
 なんだか急におかしくなって、お腹の底から笑いが込み上げてくる。
 一生懸命抑え込んで真顔を取り繕うけれど、どうしても笑みだけは顔に溢れ出てしまう。
「先生のことは、忘れません。ぜったいに、ぜったいに、いつでも心の中では一緒です」
 ゆっくりと目を瞑り、髪を後ろ手に一束にまとめて、ぎゅっと掴む。
 今まで派手に立ち回るのにうっとうしく思うこともあったけれど、ずっと切らずにいた長髪。
 見た目を変えたら先生の自分に対する態度が変わるのではないかと、無意識に恐れていたのかもしれない。
 実際はきっとそんなことは無いのだけれど、いずれにしても今となってはもう関係の無いこと。
「でも、拙者は、先生が死んでも、やっぱり拙者らしく生きていきます」
 目を開き、手のひらにグッと力を入れて、小さな霊波のナイフを作る。
 フッと軽い手ごたえと共に、手の中に落ちる長い髪の束。
 いったん目の前で別れの挨拶でもするかのような一瞥をくれてから、それを先生の墓前に供える。
「いままで通り、サンポしたり、ケンカしたり、仕事したり。先生は、もう傍に居ないけど……」
 海から吹き付ける風で、石の上に置かれた髪が見る間にほどけて舞い上がっていく。
 追って見上げた空に先生の面影を見たような気がしたけど、もう心は痛まない。
 今はただ、自分にできる精一杯の笑顔を空に向ける。
「拙者は、生きているのだから」

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