特別料理
投稿者名:赤蛇
投稿日時:(03/10/22)
「魔鈴の店」といえば、美食家と呼ばれる人達の間で知らぬ者はそうはいない。
けして高級というわけではなく、どこの街にでもありそうなビストロ風の店だが、その評価は極めて高い。
魔法料理などという、奇を衒ったかにも思える店名に怪訝する向きもあるにはあるが、一度味わってみればやみつきになることは間違いない。
フランスの家庭料理を基本としたメニューだが、香料や香草の組み合わせが実に絶妙であり、何より素材の吟味とそれを存分に生かした腕の冴えに定評があった。
主にイギリスに研究のため留学している間に、彼女が独学で学んだものだが、それを知ったとあるフランス人の一流シェフが、
「あの国に住んでこの味が出せるなんて、それこそ奇跡か魔法のようなものだ」
と、驚きながらもなんともひねくれた絶賛をしてみせたものであった。
しかし、この店には隠れたメニューと言うべき「特別料理」があることを知るものは意外に少ない。
アミルスタン羊のロースト、という聞き慣れない名前の肉料理であるが、いつ行ってもあるというものではない。
彼女曰く、あまりにも素材の吟味と熟成に手間がかかり、いつでも用意できるわけではないらしい。
広大な放牧地で自然のままに育て上げた、大人になる直前の雄羊を厳選し、一ヶ月間にわたって吟味されたレシピにしたがって香料や香草などを与えたのちに落とされるという、非常に手の込んだ素材であった。
知らずして運良くそのメニューにありつけた者は、まさに大いなる幸運の持ち主であるといえよう。
その肉は程よく締まっていながらも箸で切れるほどにやわらかく、ジューシィーな肉汁と適度にのった脂が絶妙に絡まり、香ばしく焼き上げられた薄皮に仄かに香草の風味が漂う絶品である。
一口食べる毎に舌から脳天へつき抜ける快感を味わい、思わず恍惚感に浸ってしまうほどの美味であった。
その味をもう一度味わおうと、遠方から足繁く通ってくる客も多いと聞くが、たいていは出会えることはないらしい。
そんな常連の中に横島もいた。
いつも一人でふらっと来るので多少場違いな感じもしたが、たいてい来るのはラスト・オーダー間際なのでさほど気にするものもいない。
今夜もまた。。。
「こんばんは〜〜 魔鈴さん、いいっスか?」
「あ、横島さんこんばんは。そろそろ来る頃だと思っていましたよ」
空いたテーブルの上を片付けながら魔鈴が返事をする。日曜日のせいか、店内は早々とまばらになっていた。
「すぐ済みますから、ちょっと座って待っててくださいね」
魔鈴は忙しそうに汚れた食器を奥へ運んだりしている。繁盛しているとはいえ、まだまだスタッフを雇うほどの余裕はないため、魔鈴はシェフ兼ウェイトレスの役目をこなさなくてはならないのだ。
もっとも、オーダーは使い魔の黒猫が取るし、水などは手の生えた箒が運んだりもするので、それほど大変というわけでもない。
「あ、オレ、何か手伝いましょうか?」
ただじっと待っているのも落ち着かないので横島はそう声を掛けるが、魔鈴がその申し出をやんわりとお断りするのも、いつものことだった。
「お客様に手伝わせるなんてできませんわ。それに、お皿でも割られでもしたらウチの経営が成り立たなくなってしますますもの」
「とほほ。。。」
「ふふ、冗談ですよ。もうすぐ終わりますから」
おどけて落ち込んで見せる横島に微笑みかけながら、魔鈴は厨房の奥へと姿を消した。
最後の客を黒猫が送り出すと、横島のほかには誰もいなくなった。
照明を淡く落とした店内には、微かに流れるセレナードと奥から聞こえてくる調理器具の奏でるプレリュードだけが響いていた。
「では、まずスープからどうぞ」
そういって魔鈴が差し出したものは「カキのコンソメ・ロワイヤル」。コンソメ・ロワイヤルに旬のカキとポワロ葱を入れた、ややボリューム感のあるスープだ。
アペリティフを楽しむお客なら少々重たいスープだが、成長期でお腹を空かせている横島にはちょうどよかった。まずは小腹を満たし、胃腸に食事の準備をさせねばならない。そんな魔鈴の気遣いでもあった。
「いや〜、いつもながら美味いっスね〜」
スープ・スプーンを忙しく動かしながら感想を漏らす。まずは一口コンソメを含み、次にカキを、そして葱を次々に食べていく。冷えた体の奥底に染み込んでいくような実感が伴われる。
「うふふ、そんなに慌てて食べなくても大丈夫ですよ」
「あんまり美味いもんで、つい・・・この後は何っスか?」
「昨日は甘鯛のポアレでしたから、今日はお肉にしましょう」
横島はいつも自分で何かを頼むことはしない。シェフの魔鈴におまかせなのだ。
まあ、何を頼んでいいか、どこをどう読んだらいいのかさっぱりわからない、というのも事実だが、その日の状態に合わせてメニューを決めたいという魔鈴の要望もあったので、以来なんとなくそうしている。
何故そこまでしてくれるのかはわからなかったが、自分のために料理を作ってもらえるというのは実に嬉しいものだった。
メイン・ディッシュは「牛ヒレ肉のロッシーニ風トゥルネードー じゃがいものピュレ添え」に「クレソンとベーコンのサラダ」を添えて。
「ウィリアム・テル」「セビリヤの理髪師」などのオペラで有名なロッシーニが作り出したと言われる、やわらかな和牛のヒレ肉を軽くソテーし、香草の効いたバターで焼き上げたフォアグラをのせた贅沢な逸品。
このパリの名物料理は、作ったロッシーニのオペラよろしく重厚かつ壮大で味わい深く、ブルゴーニュワインに非常に合うが、残念ながら未成年の横島にワインは飲めなかった。
しかし、もはやそんなことには構わずに、手と口と舌の趣くままに食べ続ける横島を、魔鈴はなんとも言えぬまなざしで静かにじっと見つめていた。
(だいぶ、ほぐれてきたかしら?)
細身ながら筋肉質な体つきを見ながら、残りの日数と必要なメニューを思い浮かべる。ここまでは予定通りだった。
(あと2週間、というところかしら、ね)
まずまず順調な過程に満足しながら、デザートを出すために奥へと戻る。
ミントの爽やかな香りとライムの甘酸っぱさが効いた「ボワゼ」が、今日のメニューにはさっぱりとして合うでしょう、と考えながら。
「いや〜、いつもこんな遅くなってしまってすいません」
食後のハーブティーを飲みながら他愛のないおしゃべりなどをして過ごし、そろそろ・・・と辞去する頃には日付が変わっていた。
「まだゆっくりしていってもいいですのに」
そういう魔鈴の笑顔と、一層冷え込んできた外の寒さに逡巡しながらも、明日のことを思い浮かべて帰りを決意する。
「いや、明日は学校がありますし、いつまでもいたら魔鈴さんも片付かないでしょうから」
「外は寒いですから気をつけてくださいね。風邪なんかひいちゃダメですよ」
「ははは。魔鈴さんったら、まるでおふくろか姉さん女房のような口ぶりですね」
「もうっ! 人が真剣に心配してるのに」
そう言ってむくれる魔鈴の顔は、年上には思えないような可愛らしさがあった。
「すいません。じゃまた来ます。ごちそうさまでした」
ドアベルを静かに鳴らして開けると、予想以上に冷たい空気が頬を撫でる。思わず身震いする横島の背中に、魔鈴の手がそっと添えられる。
「ま、魔鈴さん?」
「今度はいつ?」
まるで恋人が別れを惜しむかのように、かすかに指を動かしながら魔鈴がたずねた。
なんとなく奇妙な違和感を感じつつ、横島が答える。
「・・・そうっスね、明日あさっては仕事が入っているから、今度は水曜日ぐらいですかね」
「・・・よかった」
「・・・え?」
「ううん、なんでもないんですよ。おやすみなさい」
そう言いながら横島の背中を、羊でいうフレンチラックのあたりの感触を愛しげに確かめる魔鈴であった。
今までの
コメント:
- >「あの国に住んでこの味が出せるなんて、それこそ奇跡か魔法のようなものだ」
確かに……。激しく同意したくなるセリフでした。
お料理の描写がとても良いです。お腹が空いてきそう。
赤蛇さんは料理がご専門の方ですか? (U. Woodfield)
- ↑あの国って僕は日本を思い浮かべてしまったんですが・・・
ちなみに日本の料理の文化は一部(ッていってもマイナーの意ではない)の料理人やらなんやらには定評がありますよ。料理の描写がうまいんですけど、前菜とメインディッシュが一緒に出てくるのがちょっと・・・って何言ってるんでしょ?僕は・・・
いやいや、お気に触りましたらすいません。
魔鈴はかわえーッス!であであ!! (ヒロ)
- >奇妙な違和感を感じつつ
>横島の背中を、羊でいうフレンチラックのあたりの感触を愛しげに確かめる
・・・・ある童話で、やってきた子供にご馳走を振舞い、丸々と太ってから料理する。という魔女がいます。
・・・・・・
・・・・
・・
・・・ま、まさか・・・・魔鈴さん・・・・・・。ガクガクブルブル(((T□T))) (まさのりん)
- いや、「料理」の意味が違うんではないか、と。
たぶん「食べる」の意味も違ってるんではないか、と。
別の意味でガクガクブルブル(((T□T))) (O)
- 僕がひそかに書きたかったことを具現化してもらえて感激です!
最後のひねり具合も含めて(ぼそっ・・・)
遅ればせながら、はじめまして。 (Kita.Q)
- 一見して不必要とも思える詳細な料理の説明は、このオチの為だったのですね。
きっとまだ誰も特別料理を食べた事が無く、噂だけが先行しているのでしょう。
おそらく魔鈴の横島への態度は、純粋な好意から来るものなのでしょう。
従って「アミルスタン羊のロースト」は真っ当な料理なのでしょう。……多分。
投稿お疲れ様でした。 (dry)
- もしも。もしも『そう』なのだとしたら、素材の熟成の前に厳選が間違っていたような気がしてなりません。何せ横島くんの普段の生活考えるに、とてもとても………………ハッ、私は何を考えて!?(焦っ)
美味しそうな料理の描写に、血の滲むような下調べ作業が偲ばれます。
なんだか果てしなくグレーな伏線とオチが、読者の想像力をいやが上にも掻き立てます。
あの、そんな素敵なお話を書く赤蛇さんに一つだけお願いが……
続かないでくださいね(涙) (斑駒)
- (((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル
こ、恐い・・・魔鈴さんが恐いよ・・・
ブラックユーモアがたっぷり入った赤蛇さんの見事な手法に震えながら、
賛成票を1票 (((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル (ユタ)
- ここで問題が。
素材は吟味してるんですよね?
○○君は、果たして何処をどう厳選して選ばれたのか!?
いや、あそこかな?とか、いやいや、ここだろう。
と思いつく部分は何箇所かあるんですが・・・・・・
なんにしろ、これは暫く頭に残る作品です。
・・・・・・・・・怖ぇよぉ(ぶるぶる) (KAZ23)
- >ヒロ様
差し出口かもしれませんが……。
「あの国」とはヨーロッパの北にある島国のことです。
一般にゲルマン系の国の食文化はフランス、イタリアなどのラテン系に比べて非常にお粗末なものです。中でもイ○リスは食い物のまずい国の代名詞のようなイメージがあります。
日本ですか? とんでもない。日本料理は世界でもトップクラスの洗練度を誇る料理だと思いますよ。
……というか真っ先に感想書いてたくせに裏にあるものにまったく気がついていなかった私。呑気なものです。イギリスはまたブラックユーモアでも有名な国でありますね。 (U. Woodfield)
- U,Woodfield様どうもありがとうございます
確かにイギリス留学中って書いてありますね。申し訳ないです。すいませんでした。ちょっと本編を照らしすぎてしまいました。
ちなみに、日本料理はトップクラスの洗練度なのですが(これは本当です)、実はそれを知る人は結構少ないんですよ。あとゲルマンの方の料理ですが、ド○ツの料理はうまかった。特に穀類を使ったら日本人よりも上手ですよ〜。
イ○リスは、確かにまずいと聞きますが、実際僕は食べたことがないのでなんともいえません。結局国によって味も変わりますしね〜、食べる方の味覚にも変わりますよ〜。
え〜、ではでは、気を悪くしたのなら申し訳ないです。であであ〜 (ヒロ)
- 何なんだ、この妙な胸騒ぎと爽快感は・・・w
こんにちは〜 えび団子です〜
えっと、正直お腹が減ってきました。読んでて(^^;
ともかく詳しいっすね!本当に脱帽ですよ。そして最後に横島くん、大丈夫か!?と言いつつ魔鈴さんの可愛さに賛成票を♪ (えび団子)
- 全ての料理に飽きた食通が最後に求める、濃厚で淀んだアクの強い料理なのでしょうか?(謎挨拶)
ブラックユーモアの効いた大変面白いお話でした(^^)
投稿、おつかれさまでした。 (矢塚)
- 皆様、コメントありがとうございます。
返信の前に、ここでちょっと元ネタの解説を。
原作は1956年にスタンリー・エリンが書いた『特別料理』という、短編ミステリー小説の名品です。
乾いたブラック・ユーモアとでも言いましょうか、正直はじめて読んだときは眉をひそめるだけだったんですが、年を取ってくると(笑)思わず「ニヤリ」としてしまう珠玉の逸品です。
これの掲載されている早川書房の『異色作家短編集』は手に入り辛いかもしれませんが、機会があったらぜひ一読されることをお奨めします。
それではコメント返しを。。。 (赤蛇)
- >U. Woodfieldさん
いえ、私は料理とは全然関係ないんです。ただ食べるのが好きなだけで。
実は大の和食党なんで、どんなのを選んでいいか四苦八苦したのは内緒です(笑)
あのセリフは結構力を入れてたんですごく嬉しかったです。
>ヒロさん
フランス料理と日本料理は、形は違えど繊細な味に対する飽くなき追求という点では等しいかも知れませんね。
でも、日本料理にしちゃうと活け造りに。。。(笑)
>まさのりんさん
ちょっと前に流行った「ホントは怖い童話シリーズ」みたいな感じを目指したので、そう言っていただければ本望です。
さて、どうなんでしょう?(笑) (赤蛇)
- >Oさん
そっちの解釈をしてくれる人があんまりいないんですよね。それがちょっと残念。
でも、くわしく描写しちゃうとここで発表できなくなっちゃうんで(笑)
>Kita.Qさん
あちこちでお目にかかっているような気がしてましたが、はじめてだったんですね。こちらこそ、よろしくお願いします。
Kita.Qさんがひそかに思い描いていたのがどんなだったか、もっとくわしく聞きたくもあります(笑)
>dryさん
料理の描写はまだまだ足りないと思っていたんですが、これ以上書くと邪魔だったみたいですね。このぐらいがちょうどいいのかも。
「特別料理」の噂は、ひょっとしたらただの都市伝説だったりして。。。 (赤蛇)
- >斑駒さん
トマトはぎりぎりまで水と肥料を押さえると、濃厚で甘い味のが出来ると聞きます。
やっぱり、ほら、野性味溢れる青い果実のほうがいいじゃないですか。いろいろと(笑)
。。。やっぱりダメ?
>ユタさん
よっしゃ!
ユタさんを怖がらせたら勝ったも同然です(笑)
別に流血シーンも戦闘もない、ただのほのぼのとした話のつもりなんですが(爆)
>KAZ23さん
それはもう吟味してますよ。厳選素材ですよ、厳選素材。
あんなトコとかこんなトコとか。。。あとは脳内補完でお楽しみください(笑) (赤蛇)
- >えび団子さん
「読んでてお腹が空いてくる作品」が私の目指すところのひとつですので、そう言って頂けると嬉しいです。
横島君がこのあとどうなったか、それは内緒です(笑)
>矢塚さん
普通の料理じゃ満足できない至高の人とか、味○様とかがこぞってやってくるわけです(笑)
かなりアク取りを入念にしないと当たりそうですけどね。 (赤蛇)
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